食い倒れの大阪、お笑いの大阪と呼ばれる大阪は、知らないと読めない漢字の地名がたくさんあります。
東大王クイズにもしばしば出題されますし、地下鉄や電車の駅名看板を見てみるとなかなか読めない漢字が多いですよね。
そこで本記事では、大阪の地名の由来と実はその裏には怖い意味があった?というとこまで深堀して紹介しています。
ぜひ最後までお読みくださいね。
- 大阪の地名に使われる漢字「阪」が「坂」から変わった理由とは?
- 大阪という地名は水の都が由来で、だから怖い?
- 大阪の「キタ」と「ミナミ」などの地名の由来とは?
- その他:大阪の地名で難読漢字の読み方と由来は?
- まとめ:大阪の地名の由来が怖いのはある意味ホントだった
大阪の地名に使われる漢字「阪」が「坂」から変わった理由とは?
大阪って、当たり前のように「大阪」という漢字を使っていますが、実は昔は「大坂」って書いてたんです。
その証拠に、お城やお殿様の話が書いてある本にも「大坂」って出てくるんです。
しかしなぜ「大坂」から「大阪」に変わったのでしょうか?
諸説ありますが、それはちょっと怖い理由があるとも言われています。
なんでも「坂」っていう字は、お殿様に逆らうという意味の「市に反する」という言葉に似ているから、嫌われたんだとか。
それで「阪」っていう字に変えたんだそうです。でも、本当のところは、誰かが間違えて書いちゃったのかもしれませんね。
ちなみに大坂って昔は小坂という地名だったってホント?
実は、大阪(大坂)はその昔、小坂という地名だったことが知られています。
というのも、大阪の古名の一つで平安時代に使われていました。小坂という名前の由来は、この地域が坂の多い地形だったからだと言われています。
小坂という名前は、平安時代の文献にも見られます。例えば、『日本三代実録』という歴史書には、嵯峨天皇が小坂に行幸したという記述があります。
また、『源氏物語』という小説にも、小坂の地名が登場します。
小坂という名前は、後に「大坂」と変わりました。大坂という名前の由来には、いくつかの説がありますが、一つは、小坂に対して大きな坂があったからだということです。
もう一つは、小坂が大きな都市に発展したからだということです。
大阪という地名は水の都が由来で、だから怖い?
大阪の地名の由来が怖いという理由の一つに、 大阪は「水の都」と言われていることが挙げられます。
しかし、どうしてそう呼ばれるのでしょうか?
実は、大阪は昔は海の下だったと言われています。「えっ?信じられない!」と思いますよね、だけど本当なんです。
大阪は地形的に、約2万年前までは大阪湾の底に位置していたそうです。
約2万年前から、淀川が運んできた土砂によって湖ができ、そして新しく陸地が出来たということで、これが大阪の原点だと言われています。
このことは、地質学や考古学の研究によって裏付けられて、例えば、大阪の地下には、海の生き物の化石や貝殻が多く見つかっています。また、大阪の古墳や遺跡には、海の幸や塩の影響が見られます。
長い長い年月の間に、淀川がどんどん土を運んできて、海の中に湖ができました。そして、その湖の上に陸地ができたんです。それが、今の大阪なんです。
ですので、大阪は川も海もあって、水に囲まれたところなんです。水は生きるために必要なものですから、大阪は「水の都」って呼ばれるようになったんですね。
【関連記事】
地名に使われる漢字に隠された真の意味とは…?
気になったら自己責任でお読みくださいね…。
梅田は埋田!?その由来が怖い理由とは?
でも更に、水には怖い話もあるんです。それは、大阪のど真ん中にある「梅田」っていうところの話です。
梅田って、使われている漢字から想像すると、梅の木がたくさんあったところなのかな?と思うかもしれませんが、実は違うんです。
梅田の「梅」っていう字は、ほんとうは「埋」って書くんです。なんでかというと、梅田は昔、水に流されて土に埋もれたところだったからなんです。
昔、今の梅田は、雨が降るとすぐに水があふれて、土が崩れてきたんです。そのせいで、田んぼがぐちゃぐちゃになって、土に埋まってしまったんです。それで、「埋田」って呼ばれるようになったんです。
でも、それが原因で都市伝説的に「人が埋もれてしまった」ことを暗に意味しているともまことしやかに言い伝えられています。
大阪の「キタ」と「ミナミ」などの地名の由来とは?
大阪に行くと「キタ」とか「ミナミ」というが地名を聞くことがあります。
また、テレビのトーク番組でも、よくお笑い芸人さんらが「キタ」で遊んだとか「ミナミ」で飲んだとか聞いたこともありますよね。
方角から察するに、「キタ」は梅田のあたりで「ミナミ」は難波のあたりだと思っている人が多いかもしれませんが、実は、そういう決まりはないんです。
この言い方は、現在のやお城やお殿様がいた時代である江戸時代が始まりと言われています。
その頃の大阪は「天下の台所」と言われて、いろんなものが集まってくるところでした。その中心は、船場や島之内というところでした。
ちなみに船場の地名の由来は、
・古くから争いが行われていたので「戦場」と呼ばれた。
・大坂城の馬を洗った場所の意から「洗馬」と呼ばれた。
・大昔は砂浜であったため「砂場(さば)」と呼ばれていたことから転じて「センバ」となった。
・大昔は元々船着き場であったため、「船場」と呼ばれた。
と言われています。
話を戻します。
そこから、お金持ちや武士が遊びに行くところができました。それが、「北野新地」と「南地」というところでした。それで、「キタ」と「ミナミ」と呼ばれるようになったのです。
その後、1950年に「きた」「みなみ」とひらがなで書かれたのが最初で、54年に雑誌で「キタ」「ミナミ」とカタカナで書かれて、地元の住民たちが使うようになりました。
また大阪の有名な場所に「新世界」というところもあります。
これは、1912年に通天閣の近くにできた「ルナパーク」というところの名前です。ここは、遊園地みたいなところで、いろんなものが見られました。
そのころは、まだそんなに技術が進んでいなかったので、「新世界」という名前がつけられたんです。
おそらく、お城やお殿様がいた時代「旧世界」と比較して名付けられたのでしょうね。
その他:大阪の地名で難読漢字の読み方と由来は?
大阪には知らないと読めない難読漢字の地名がたくさんあります。そのうち代表的な地名を紹介します。
・高麗橋(こまばし)
高麗川にかかる橋の名前からきています。高麗川は、高麗人が住んでいたという伝説がある川です。
・立売堀(たちばりぼり)
江戸時代に立売市場という魚市場があったところからきています。堀は、市場の周りに掘られた水路のことです。
・喜連(きれん)
喜連神社という神社の名前からきています。喜連神社は、喜連川の水神を祀っている神社です。
・十三(じゅうそう)
十三峠という峠の名前からきています。十三峠は、大阪と京都を結ぶ道の途中にある峠で、峠の高さが十三間(約23メートル)だったという説があります。
・恩智(おんち)
恩智寺という寺の名前からきています。恩智寺は、聖徳太子が建立したと伝えられる古刹です。
・放出(はなてん)
放出池という池の名前からきています。放出池は、淀川の水を放出するために作られた池です。
・天下茶屋(てんがちゃや)
天下茶屋城という城の名前からきています。天下茶屋城は、豊臣秀吉が築いたとされる城で、茶屋というのは、城の外観が茶屋に似ていたということです。
・水走(みずはしり)
水が走るという意味からきています。水走は、淀川の支流の一つで、水量が多くて速い川です。
・杭全(くいぜん)
杭という字が全という字に似ているからという説があります。杭は、この地域に多く打ち込まれた杭のことです。
・百舌鳥(もず)
百舌鳥古墳群という古墳群の名前からきています。百舌鳥古墳群は、日本最大の古墳である仁徳天皇陵を含む古墳群です。
・なかもず(なかもず)
中百舌鳥という地名の略称です。中百舌鳥は、百舌鳥の中央部にあたる地域です。
・枚方(ひらかた)
古くからの読み方で、平安時代の文献にも「ひらかた」と書かれています。
「ひらかた」の地名の由来はいくつかの説がありますが、一つはこの地域が平らな方角にあったからという説です。
平らな方角というのは、京都の方角のことで、京都は平安京と呼ばれていました。京都に向かう道が枚方にあったので、「ひらかた」と呼ばれたということです。
もう一つは、この地域が平らな形をしていたからという説です。
平らな形というのは、長方形や正方形のような形のことで、枚という字に似ています。この地域の田畑が平らな形をしていたので、「ひらかた」と呼ばれたということです。
・天満(てんま)
天満宮という神社の名前からきています。天満宮は、菅原道真を祀る神社で、学問の神様として有名です。
・門真(かどま)
門真寺という寺の名前からきています。門真寺は、空海が開いたとされる寺で、真言宗の本山です。
・靭(うつぼ)
靭公園という公園の名前からきています。靭公園は、大阪城の堀にあった鰻の養殖場が由来とされる公園です。
・波除(なみよけ)
波を除くという意味からきています。波除は、大阪湾に面した地域で、波を防ぐために築かれた堤防のことです。
・浪速(なにわ)
大阪の古名です。浪速の由来には諸説ありますが、一つは、波が速いという意味だということです。
・浪花町(なにわちょう)
浪花という地名の別名です。浪花は、浪速の別読みで、波が咲くという意味だということです。
大阪は、海の幸が豊富で、波のように華やかなところでしたから、その様子を表した名前だと言われています。
・柴島(しばじま)
柴という植物が多く生えていた島の名前からきています。柴島は、淀川の中にある島です。
・新喜多(しんきた)
新しく喜多という地名ができたことからきています。喜多は、喜多神社という神社の名前からきています。
・鴫野(しぎの)
鴫という鳥が多くいたところからきています。鴫は、水辺に住む小さな鳥です。
・河堀口(かぼりぐち)
河という川の堀口という出入り口の名前からきています。河は、河内川という川の別名です。
・我孫子(あびこ)
我孫子神社という神社の名前からきています。我孫子神社は、我孫子天皇を祀る神社です。
我孫子という字は、我孫子天皇の別名である「我が孫」という言葉からきています。
我が孫というのは、神武天皇が我孫子天皇を呼んだという伝説がある言葉です。
神武天皇は、我孫子天皇に対して、自分の孫という愛情を込めて「我が孫」と呼んだということです。
・遠里小野(おおさとおの)
遠里と小野という二つの地名の合成です。遠里は、遠い里という意味で、小野は、小さい野という意味です。
・楠珺社(くすのきしゃ)
楠という木と珺という宝石の社という意味からきています。楠珺社は、楠木正成を祀る神社です。
・依羅(いら)
依羅神社という神社の名前からきています。そして、依羅という字は、依羅大神の別名である「依羅尊」という言葉からきています。
依羅尊というのは、依って羅をつくるという意味で、依というのは、土地や人々に依存するということで、羅というのは、網や布のように広がるということです。
つまり、依羅尊は、土地や人々に恵みを与えて広く守る神様ということなんですね。
・杭全(くいぜん)
杭全は、杭という字が全という字に似ているからという説があります。杭は、この地域に多く打ち込まれた杭のことです。
杭が多く打ち込まれた理由は、この地域が昔は海の下だったからです。
長い時間をかけて淀川が運んできた土砂によって陸地ができましたが、その土地は柔らかくて沈みやすかったので、建物を建てるときには杭を使って基礎を固める必要がありました。
・聖天下(しょうてんか)
聖天という仏の名前からきています。聖天は、毘沙門天という仏の別名です。
・茨田大宮(いばらだおおみや)
茨田という地名と大宮という神社の名前からきています。茨田は、茨という植物が多く生えていたところからきています。大宮は、大宮神社という神社の名前です。
・瓜破(うりわり)
瓜を割るという意味からきています。瓜破は、瓜を栽培していたところからきています。
・加美鞍作(かみくらさく)
加美と鞍作という二つの地名の合成です。加美は、美しいところに加えるという意味で、鞍作は、鞍という馬具を作る職人が住んでいたところからきています。
鞍作は、鞍作神社という神社の名前でもあります。
・兎我野町(とがのちょう)
兎が多くいたところからきています。兎我野町は、兎我野神社という神社の近くにある町です。
兎我野神社は、兎を神聖な動物として崇める神社です。兎は、月の使いとして知られていて、月の神様である月読命を祀っています。兎は、不老不死の象徴でもあります。
・丼池(どんぶりいけ)
丼という食器の形に似た池の名前からきています。丼池は、淀川の支流の一つで、丸くて深い池です。
・放出(はなてん)
放出という地名は、放出池という池に由来します。この池は、淀川から水を分けて作られたものです。
江戸時代に、淀川はよく氾濫して大阪を水浸しにしました。そこで、淀川の水を他の場所に向ける工事が始まりました。その一部として、放出池ができたのです。
放出池は、淀川の水を調節するだけでなく、農業や生活にも役立ち、やがて人々が住みだして大阪の歴史や文化に影響を与えた池なのです。
まとめ:大阪の地名の由来が怖いのはある意味ホントだった
いかがだったでしょうか?
大阪の地名の由来や歴史をさかのぼってみると、どうやら「水」が影響しているようですね。
そして、知らなきゃ読めない難読漢字を使用した大阪の地名を紐解いてみると、色々なストーリーがあったのだなと、とても勉強になりますよね。
大阪を訪れた際は、ぜひ本記事を参考に色々な地名とその歴史について触れてみてください。
【関連記事】
大阪の地名の由来を知ったら、北海道の地名の由来も知りたくなったのではないでしょうか?
せっかくの機会ですから、ぜひこちらの記事もあわせてお読みくださいね。