「小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた…」
秋の訪れを感じ取る感性の豊かさもある一方で、昭和の哀愁を帯びた、どことなく悲しげで怖いメロディが散りばめられた童謡ですね。
童謡には、時に忘れがちな季節感や自然の変化を敏感に捉える力が隠されています。
大人になった私たちも、子どもたちの純粋な目を通じて、都市伝説のように語り継がれる童謡の中に新しい発見を見つけ出すことができるのです。
曇りガラス越しに感じる隙間風の冷たさや、目を凝らせば見えるかもしれない秋色の景色、そして、なぜ「小さい秋見つけた」は一部の人から怖いと言われるのか解説していきます。
「小さい秋見つけた」って怖い歌なのか?
「小さい秋見つけた♪」は1955年に誕生し、作詞家のサトウハチローさんと作曲家の中田喜直さんによって生み出されました。
さらにその年には、童謡賞を受賞するほどの人気を博しました。
さて、「小さい秋見つけた」の歌詞は怖いという噂もありますが、実際はどうなのでしょうか?
結論「人によっては解釈次第で怖いかも…」です。
「え?どういうこと?」と思いますよね。ここから深堀りして解説していきますね。
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まず第一に:誰かさんって誰のことを言ってるの?
「誰かさん」が誰を指しているのかについては色々な諸説ありますが、有力な説の一つでは、作詞家のサトウハチロー氏自身を指していると言われています。
作詞家のハチロー氏の少年期は決して平穏なものではなく、ハチロー氏の姉:佐藤愛子さんの長編小説『血脈』によると、どうやらとんでもない不良少年だったそう。
ハチロー氏は、3歳のときに熱湯でおなかに大やけどを負ってしまいました。
身も心も後遺症を負ってしまったハチロー氏は、お母さんにおんぶしてもらい学校に通いましたが、なかなか友達もできず学校にはなじめなかったのですね。
そんなお母さんもお父さんの女性問題で家を出ていってしまい、成長したハチロー氏は、前述のとおり不良少年になってしまいました。
東京中の学校を転校しては退学を繰り返し、結局は小笠原島の学校に追いやられることになってしまいました。
しかしそこで、ハチロー氏は福士幸次郎さんという詩人と運命的な出会いを果たします。
福士さんは、詩のおもしろさを教えてくれました。サトウハチローさんは、詩人になろうと思いました。
とはいえ、ハチロー氏は詩人になってからも、なかなか悪い習慣は改善されなかったようです。
そんなハチロー氏が、なぜ「小さい秋見つけた」のような、どことなく物憂げで優しい詩を書けるのか?
これは、恐らくですがハチロー氏が作詞された「小雨の丘」で亡き母を想う詩に表れるように、心の片隅に人格形成される「優しさ」があったのだと思います。
「小さい秋見つけた」が怖いのか?歌詞で見ていこう
それでは、実際に歌詞を見ながら考えていきましょう。まずは、「小さい秋見つけた」の歌詞はこちらです。
誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉あかくて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
小さい秋:一番の歌詞が怖いのか考えてみた
「めかくし鬼さん」というのは、鬼が目をつぶって子どもたちを追いかけまわしますよね。
ですので、子どもたちはあまり遠くに逃げちゃうといつまでも鬼に捕まらないからダメなんです。
それに、目をつぶって鬼ごっこするのは、夏や冬じゃなくて、主に春や秋です。夏や冬は他にもっと楽しい遊びがいっぱいありますからね。
「めかくし鬼さん手の鳴る方へ」というのは、実際、鬼役の子供は耳をすまして、逃げる子供たちの気配を感じて追っかけます。
ということは「すましたお耳にかすかにしみた」は、「鬼さん」でも逃げてる「子」でもないはずですよね。
では、誰なのかっていうときっと「誰かさん」なんでしょうね。
とはいえ、「誰かさん」はこの遊びには参加してないから…、これが怖いと言えば怖いことになりますかね。
小さい秋:ニ番の歌詞が怖いのか考えてみた
では二番はどうでしょうか?なかなか解釈に難しいですけども。
「北向きの部屋」「くもりのガラス」「うつろな目の色」「とかしたミルク」「部屋の隙間風」などのフレーズがあります。
「お部屋は北向き」と敢えて表現しているのは、この部屋が病室と解釈できます。
北側の部屋は病気になった人、というのも、昔は結核などで長く寝込んでる人の病室は家の北向きの端っこにありました。
現代はあまり気にされないけれど、そういう特別な理由がないと「お部屋は北向き」と敢えて歌詞にしないはずです。
また、くもりガラスというのは外が見えないってことなので、病人にとって外の世界と切り離されてるってことでしょう。
というのも、この詩を書いたサトウハチロー氏のお父さんは結核を患い、ずっと病室にいたそうです。
北向きの部屋で、ぼんやりとくもりガラスの窓を見ると、自分の顔が反射して映っていて、どことなくうつろな目の色で、しかもくもりガラスだからか「とかしたミルク」のように見える…ということなのでしょうか。
二番は怖いというより、悲しい感じがするのは小生だけでしょうか。
小さい秋:三番の歌詞が怖いのか考えてみた
ハチロー氏の家の庭には「はぜの木」があったのは周知の事実でして。
ですので、その「はぜの木」にあるはぜの木の「はぜの葉があかくて入日色」は本当にある景色でハチロー氏が実際に見ていたと思われます。
と、その前にある「むかしのむかしの風見の鳥(鶏)の」という歌詞については、恐らく誰かさんが、二番で「すこしの隙間からふいてきた秋風」を感じて、
病気で動けない自分と、秋風を受けてくるくると回る風見鶏を自分に重ねて表現したのでしょうね。
この風見鶏を「むかしのむかしの」と表現しているのは、ハチロー氏が子供の頃の昔にお母さんと一緒に行った教会の近くにある風見鶏のことを言っているといわれています。
前出のとおり、ハチロー氏のお父さんは別の女性を愛してしまって、小さかったハチロー氏とハチロー氏のお母さん(妻)を残して出ていきました。
「ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色」
恐らく、風見鶏は長い期間、風や雨にあたって、赤かったトサカの色がはげてしまったのでしょう。
その色褪せたトサカに真っ赤なはぜの葉がひっかかって、本物のトサカみたいになっているシーンが忘れられない思い出だったのですね。
という見解が一般的なので、小さい秋見つけたの三番は「怖い」歌詞とは言えないです。
まとめ:「小さい秋見つけた」が怖い歌というのは都市伝説
いかがだったでしょうか?
アナタは「小さい秋見つけた」を聴いた時、どんな感情だったでしょうか?
小生は「怖い」というよりは、時が経って人生を振り返った時になんとなく「悲しい」なという感情でした。
もちろん、人それぞれの想いですし、それが答えなのだと思います。
「小さい秋見つけた」の歴史、美しいメロディ、歌詞に込められたハチロー氏の想いの素晴らしさが今でも多くの人々に愛され続けているのですね。
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