本記事では「世田谷」の地名の由来と、それにまつわる「なるほど!」なトリビア的雑学を紹介しています。
世田谷区は、若者に大人気な三軒茶屋や三宿、ファミリー層に大人気な二子玉川や成城などオシャレな街がたくさんあります。
世田谷区の各地名の由来を学んでから街並みを歩いてみると、今までとちょっと変わった感覚が出てくると思います。
ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
世田谷の地名の由来は!?地域の語源とエピソードを紹介
世田谷区は、台地が切れ込まれた細い谷間にある地域で、その地形から名前がついたと言われています。
セ(狭)・ト(所)・ヤ(谷)という意味があります。同じく世田谷区の南部に位置する世田谷区瀬田も、同様の地形を表す地名です。
瀬田や瀬戸、背戸などは全国によく見られる地名で、海においても狭い水路をセト(瀬戸)と呼びます。
また、セタガヤという音が変化してセンダガヤ(千駄ヶ谷)になったというのは有名な話です。
両者は同じような地形を示しています。中央線や東急世田谷線で現地に行ってみると、その地形を実感できるでしょう。
続いて世田谷区内にある地名の由来を見ていきましょう。
世田谷区瀬田の地名の由来
瀬田の名前は、古くは「瀬田村」と呼ばれていました。この地名の由来は、かつてこの地域に瀬田川が流れていたことによるものです。
瀬田川は、現在は暗渠となっていますが、かつては水運の要所として栄えていました。そのため、この地域は「瀬田」と名付けられたのです。
世田谷区玉川の地名の由来
一方、玉川の名前の由来は、玉川という地名があるように、かつてこの地域には玉川という川が流れていたことによるものです。
この川は、現在も一部が残っており、美しい景観を楽しむことができます。また、この地域は昔から美しい自然環境が保たれており、多くの人々に親しまれてきました。
瀬田・玉川の地名の由来には、水と自然の要素が関わっています。
世田谷区祖師谷の地名の由来
祖師谷の地名には、いくつかの説があります。一つは、祖師谷がかつて「瀬田谷(せたや)」と呼ばれていたことから派生したという説です。
瀬田谷は、古代の谷戸地帯を指し、その地に祖師が住んでいたことから「祖師谷」と呼ばれるようになったと言われています。
二つ目の説は、祖師谷が「蔵谷(くらだに)」と呼ばれていたことから由来しているというものです。
蔵谷は、古代の谷戸地帯にある蔵の多い地域を指し、祖師が修行や教えを行っていたことから「祖師谷」という名前になったとされています。
祖師とは、古代の日本で仏教を広めた僧侶や学者を指す言葉であり、彼らが修行や教えを行った場所が「祖師谷」と呼ばれるようになりました。
いずれの説が正しいのかははっきりしていませんが、祖師谷は古くから神聖な場所として崇められてきたことが窺えます。
そのため、今でも祖師谷には多くの寺院や神社が存在し、人々にとって心の拠り所となっています。
世田谷区千歳台の地名の由来
千歳台は世田谷区にある住宅地です。千歳台の地名の由来は、昭和30年代にこの地域が開発されたときに、長生きと幸せを願ってつけられたものです。
千歳という言葉は、日本の伝統的なお祝いの言葉で、長寿や繁栄を表しています。
また、台という言葉は、高い場所や平らな場所を意味しています。千歳台は、その名前の通り、高台にあって、周りの景色や自然が素晴らしいことで有名です。
千歳台は、住宅地としてだけでなく、周辺には公園やショッピングモールなどもあります。生活に便利で快適な環境です。
さらに、交通も便利で、都心へもアクセスしやすいです。だから、多くの人が住みたいと思う魅力的な地域です。
千歳台の地名は、その意味や願いがこめられています。住んでいる人たちは、この地名の由来を誇りに思っていますし、地域の仲間意識も強いです。
世田谷区三軒茶屋の地名の由来
三軒茶屋の地名の由来は、江戸時代まで遡ります。当時の地には「信楽」、「角屋」、「田中屋」という名前の茶屋が三軒ありました。
この地は、大山道と登戸道という二本の街道が分かれる場所で、旅人が多く訪れており、旅人たちは三軒の茶屋で休んだり泊まったりしました。
三軒の茶屋は、この地域の目立つ存在でした。そのため、この地域は三軒茶屋と呼ばれるようになったんですよ 。
世田谷区三宿の地名の由来
この地域には昔、「蛇池」とか「龍池」とか言われていた池があったんです。この池は水がたまる場所として「水宿」と呼ばれていました。
それが変化して「三宿」という名前になったというのが由来の一つと言われています。
世田谷区成城の地名の由来
成城地区の地名は、江戸時代に成城村として誕生しました。
成城とは、「城」を「成し遂げる」という意味の言葉と組み合わせたもので、この地に都市を建設するという目標を持っていた開拓者たちの思いが込められています。
世田谷区喜多見の地名の由来
木田見(きたみ)という古い名前で呼ばれていた喜多見は、鎌倉時代に木田氏という一族がこの地に住んでいたことに由来します。
木田氏は、この地域の地主であり、農地の開発や農業の発展に貢献していました。
世田谷区用賀の地名の由来
世田谷区にある住宅地の用賀という地名は、鎌倉時代にこの地域にあった真言宗の修行道場が由来となっています。
この道場で行われていた仏教の修行法は、瑜伽(ゆが)と呼ばれていました。
瑜伽とは、心身を一つにすることを目指すヨーガのもとになった梵語です。
この瑜伽が変化してヨーガになり、その後用賀という名前になったとされています 。
また、真言宗真福寺がこの地域を所有していたことから、「瑜伽山」という真福寺の山号が地名の由来という説もあります。
用賀は、歴史や文化が感じられる魅力的な地名ですね。
世田谷区二子玉川の地名の由来
世田谷区と川崎市の間にある多摩川に挟まれた地域を二子玉川と呼んでいます。
この地名の由来については、いろいろな説がありますが、もっとも信ぴょう性が高いのは、昔多摩川の向こう側にあった「二子村」と世田谷区側にあった「玉川村」が由来だというものです。
二子村は、古代の墓である二子塚古墳があったことから名づけられたとされています。玉川村は、多摩川の別名である玉川にちなんだものです。
この二つの村の名前が合わさって「二子玉川」という地名になりました。
さらに、この地域には「二子の渡し」という渡し船がありました。
この渡し船は、江戸時代に参勤交代や旅行に使われた大山街道という道路の大切な交通の要所でした。
この渡し船も「二子玉川」という地名の由来に関係していると言い伝えられています。
まとめ
世田谷区にある地名の由来を知ると、その街を歩いているだけでもワクワクしてきます。
三軒茶屋、二子玉川、三宿を始めとした世田谷区をぜひ散策してみてくださいね。