プロ野球の球団の中でも人気があるのが広島東洋カープで、カープ女子という流行語も懐かしいです。
他球団と同じく広島カープには「カープ坊や」というマスコットが存在します。
本記事では、意外に広島ファンやカープ女子でも答えられないカープ坊やの歴史について詳しく解説をしていきます。
カープ坊やの歴史や雑学について【広島カープファン・カープ女子なら知っておくべきこと】
カープのマスコットキャラクターといえばバットを持った少年をイメージする人が多いでしょう。
くりくりのお目々に、何となく昭和を感じさせるどこか懐かしいデザイン。
このマスコットこそがカープ坊やです。
しかし、実はカープ坊やは、球団を代表するマスコットの着ぐるみはありません。
広島カープの場合は、着ぐるみの方がは謎の生物「スラィリー」に一任されていて、カープ坊やは球団のロゴやグッズについているだけなんですよね。
カープ坊やが初めて登場したのは1975年です。
12球団のマスコットキャラクターの中では最古参となっており、それが現在も変わりなく使われています。
もともと広島カープは歴史ある球団ですし、その中でもカープ坊やは今も変わらずに昔のままのデザインが使われているということですね。
カープ坊やが使われるようになった経緯は、1975年に当時監督であったジョー・ルーツ監督の発案によるものです。
当時は選手の道具は個別に持参をしていました。
しかし、それを球団の車で運ぶようになった際に車に描かれるロゴを公募したのがきっかけです。
その際に公募で選ばれたのが、イラストレーターの岡崎福雄さんがデザインしたカープ坊やというわけです。
カープ坊やは、本元のデザインは変わっていないものの、実は細かい変更は行われています。
それはユニフォームなんです。
カープ坊やのユニフォームはカープのユニフォームが変わる度に変更になっています。
表情などのデザインは変わらなくともそこはしっかりと現代に合わせるのですね。
またグッズは、カープの歴代監督がカープ坊や風にアレンジをしたものや、大のカープファンとして知られる奥田民生さんとのコラボグッズもあります。
奥田民生さんのカープ坊やの場合は、バットーがギターに持ち変わっています。
カープ坊やは長年愛されているからこそ、このようなパロディ商品も多くあるということですね。
広島カープ「カープ坊や」以外のマスコットを紹介
前述しましたが、広島カープにはカープ坊や以外にスラィリーがいます。
スラィリーは1995年にマスコットとして登場したので、カープ坊やの後輩になります。
カープ坊やは着ぐるみがない以上、スラィリーの方が球場で盛り上げを行っていることが多く、当然カープファン・カープ女子ならご存じでしょう。
ちなみにカープ坊やとスラィリーは、どちらもカープのマスコットというだけで何か特別な関係性があるわけではありません。
スラィリーの方は見た目的には謎の生物ですが、何かモチーフになっているわけではありません。
言ってしまえば、スラィリーはスラィリーという生物という感じですね。
ただ、謎の生物スラィリーって謎であってもどこか見たことがありませんか?
そう感じるのは無理もないはずです。
実は、スラィリーをデザインしたのはセサミストリートのキャラクターをデザインしたハリソンエリクソン氏なのです。
「なるほど~!!」と思いませんでしたか!?
ですので日本人にも馴染みがあるのですね。
カープファンやカープ女子なら、選手だけでなくカープ坊やスラィリーなどのキャラクターも注目してみてくださいね。
まとめ
カープ坊やは1975年に生まれたキャラクターであり、12球団の中でも最も歴史が古いマスコットだったのです。
その経緯は、選手の荷物を車で運ぶ際の球団ロゴを公募したことからになります。
ただし、カープ坊やは着ぐるみにはなっておらず、着ぐるみはもう1つのマスコットであるスラィリーが担当しています。
そして、スラィリーのデザインはセサミストリートのキャラクターをデザインをされたハリソンエリクソン氏だったのです。
MAZDA Zoom-Zoom スタジアムに応援に行った時は、ぜひカープ坊やとスラィリーに注目してみてくださいね。
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